第63話    「鈎と黒鯛」   平成17年06月19日  

昭和40年代の後半の頃は、まだ価格の安いグラスロッドの全盛時代であった。その当時は大型の黒鯛を釣るためにグラスロッドにしては細身だが、少し固めのワールド社の三間半(約5.4m)の竿を自分で中通し竿に改造し盛んに使っていた。

この頃は南突堤の曲がりから先150mくらいに旧赤灯台が建っていた頃である。当初小型のテトラが多く積まれていたが、今はすっかり大型テトラと入れ替わっており危険な場所である。丁度その大型テトラが詰まれた頃の時代である。いつものように会社を5時半に終了して釣具屋で餌の大型のゴエビ(沼エビ)を選んで貰って、G社の袖長の丸海津を買い込んで颯爽と出掛けた。この場所では7月の後半になると春からのイサダ釣りが終わり、初夏の中型黒鯛の夜半釣りが始まる季節である。

その頃はまだエビが豊富にいた時代で、大型のゴエビを尻尾から胴に抜き針先を内側にし、いつものようにエビの30cmくらい上にほんの少々の板錘を巻き付けて力一杯川上に向けて振り込んだ。いつもの事ながら西に太陽が沈むのを見ながらの釣は、気持ちの良いものである。陽が完全に落ちて辺りが薄暗くなると、黒鯛の当たりが出て来る。竿の先に全神経を集中すると、最初の当たりで竿の先が少しずつ曲がって来るのを感じる。「まだ! 我慢!」やや少し間を置いて二度目の当たりを待つ。そして三度目に本アタリが来て大きく合わせる。「キタッ!」。メーカーは忘れたが、ハリスは道糸と同じナイロンの3号である。40cm前後の黒鯛であれば十分に持つ筈である。テトラが沖側に階段状に入っているこの辺りでは沖側に黒鯛を出すまでは、竿を必死にためて待つしかない。

40
cmは軽くオーバーしている。が「アッ」と云うまもなく、針の袖から真二つに折れてバラシてしまう。「自分とした事が・・・・!」 それまで針が伸されてバラシた事はあっても、折れた事はまず無かった。直ぐに針を代えて当たりを待つ。そしてまた同じ事を繰り返す。その夜はその胴の長い丸海津しか持っておらず他の針と交換が出来ない。友から針を貰おうにも50mも離れた位置にいたのでそれも出来なかった。その夜は障害物に引っかかり針をなくしたものを入れて、買い込んだすべて針を使い果たした。7回の当りがあってすべて針が折れてバラしたと云う過去にも後にも経験の無い事件が起きてしまったのである。胴が長いことと焼きが強すぎていたことがその原因である。それからと云うもの、その後十数年G社の針は一切使わずO社の胴が短く丸味を帯びている伊勢尼を使用した。

釣り人はひょんなことで一度嫌になったらメーカーは、徹底して嫌いになるものらしい。その後使った伊勢尼では黒鯛をバラシたと云う経験は一度も無い。それまでの自分は、その時の気分によって針鈎を買っていた。何も黒鯛用の針でなくとも針と名が付けばなんでも良いと思っていた。その時以降大物を狙う時の針鈎を買う時の心得として出来るだけ懐の部分が出来るだけ太いものが、自分の好みとなっていた様に思う。それで軸の太い地針の鯉針をも使ったことがある。

釣り方でも異なるが、竿と道糸とハリスと針鈎のトータルバランスが必要と気がついたのはこの事件からずっと後の事である。あの時針に負担をかけずに必要以上にためないで、少し糸を出しながら沖手に魚を出す工夫があれば案外捕れていたのかも知れない。テトラ以外では、いつも竿やハリスや道糸には負担をかけた釣などはしていなかった。話には聞いていたが、針鈎などはそんなに簡単に折れたりするものではないと云う思い違いをしていた自分が悪かったのだ。そんな反省点に気づいたのは、この事件後の事である。

最近では魚が釣れてもどんな時でも決して無理をせず、魚を釣ることが出来るようになって来た。例え魚をバラシたとしても「今日の魚が、自分より一枚上手であったナァ!」と思い、「またの日に釣れてくれれば・・・エエデェ!」と思えるようになって来た。昔のように悔しくて、次の日から同じ場所に通いつめるような事は無くなった。「下手は下手なりの釣が、楽しめれば良い。「今日釣れなければ、明日がある」と云う気持ちになったのはここ数年の事である。